( ´△`) 続けられるのか…な
コンチワっす、はりゆうです。
開き直りの休日です(汗)
昨日の続き
中学校時代のクラブ活動ですが、そのうちの2年間はまるで中身のないものでした。
ところが、3年生に進級したとき転機が訪れました。
これまで顧問だった先生が転勤となり、別の中学校から赴任した先生が新たに顧問となったのです。山中先生から片山先生に変わりました。山つながりで先生の名前をイジリ出すとまさに’遭難’しそうですので…おっと!脱線するところでした(汗)。
片山先生は、前にいた学校ではバレー部の顧問をしており県大会の常連強豪校で全国大会も経験しているスゴイ先生でしたが、所詮は公立中学校の部活動とあって転勤先も同じバレー部とは行かず、顧問の空いたバスケ部を受け持つことになったのです。
県大会はおろか市大会の一回戦すら勝てないような学校にきたのはさぞかし不満だったと思います。じっさいに先生もバレー部がいいと漏らすこともありました。
でも、片山先生は本を片手に毎日体育館にやってきて、部員たちに 今何の練習をしているのか?確認していました。
まず、真っ先に、学年関係なく全員が練習するようになりました。
同級生のキャプテンはこれまで通りの練習方法で行きたかったみたいでしたが、先生が疑問に思うことは全部変わっていき、これにはキャプテンも陰で愚痴ってました。
キャプテンが愚痴る環境になれば成る程、サボリがちだったワタクシは放課後が楽しみになり、3年生になって初めてバスケが面白いと思えるようになりました。
とにかくバイタリティ溢れる先生は、イイと思ったことにはすぐに取り掛かる人でした。なかでも、別の中学校に元全日本の選手だった人が教えに来ているという情報をキャッチして出稽古に行く事になったのですが、そこそこ距離が離れたその中学校へ毎週行く事にしたのは相当な行動力だと思います。今だったらリスクを考えると不可能じゃないかな。
せっかく面白いと思えたバスケでしたが、あっという間に3カ月が過ぎ、ワタクシたちの代も とうとう最後の大会となりました。
えぇ、世の中そんなに甘いもんじゃありません。
みっちり2年間、負ける練習を積み重ねてきたワタクシたちもキッチリ1回戦負けで あっという間に引退となりました。
ちなみに、2コ下の代(最初から片山先生が顧問だった代)は新人戦から市大会で優勝するなど別のチームへと見事に生まれ変わってました。
中学部活動の経験で学んだコト
自分が想うようにやっていくには まず人から信頼される行動を普段からしていないと信用してもらえない!!
高校での部活動ではこのことだけは忘れず胸に秘めておりました。
2006年に神戸へ転勤となり、母校の高校へ行ったとき
職員室の正面にあるガラスケースに見覚えのある写真が飾られてあるのを見かけました。
柄にもなくキャプテンを務め真ん中に座っている自分が、しかめっ面でカメラを睨んでましたので全国大会で敗戦したときのものかな?
片山先生に教えて頂いたことを、神戸へ転勤していた期間中の2年ほどの間でしたが母校の後輩達へ伝えました。
このとき1年生だった子たちが全国大会へ出場するしらせを、再び転勤した東京で聞いたとき、職員室の写真がようやくお役御免になるのかなって嬉しくもさみしく思いました。
指導のあり方で騒がれている昨今、こんな昔話を思い出したのでした。
昔話し おしまい。
昨日は知多半島へ出張
で、お土産
そりゃ こうなる
前日との差:+1.1kg
スタート比:-0.6kg