はりゆうの暗(あん)闇(あん)散歩

何が目的?どこへ向かう?夜中に犬散歩していて、ふと 思った気まぐれブログです!

(゚ω゚) とことん続けるチラ裏ばなし

コンチワっす、はりゆうです。



ふくらはぎを痛めて一週間ほど経ちましたが、思うような回復には至っていません(泣)。


来週エントリーしている三浦国際マラソンをどうしようか?悩みながらの散歩です。




ってことで、ちょっとも走れないので



本日も思い出の続きです、、、



神戸勤務は、今思い返しても夢だったのか?と錯覚してしまうような不思議な気持ちになることが多かったです。着任して僅かのワタクシの方が、大阪南部や奈良から通勤している古株の人より詳しいことがあったりしたのも、そのひとつです。


東京へ上京してからはどこに身を置いても常にアウェイな空気を感じていたワタクシにとって、自立した生活の中でホームを感じられた貴重な期間だったのかもしれません。




高校入学時点で提出すべき課題にようやく目途がつき、やっといろんな部を見学しに行ける!って頃、例のうしろのヤツは、まだ なあぁ、なあぁ、と懲りることなく勧誘し続けておりました。


うるせぇ~! オレは三五十五のような目の覚める背負い投げがしてぇ~んだよ!


当時、ヤンマガで連載されていた柔道部物語に感化されまくっていたワタクシ、自分ひとりで5人抜きしてやる気マンマンの鼻息の荒さでした(汗)。



ところが、兄がふいに「お前、アメフトせぇ~へんの?」などとノタマッテきました。





ん?






あれ?





中学の時は、あれだけ嫌がっていた兄弟一緒の部活動。高校では様子が違いました。

おそらく兄は、ホントに兄弟で一緒のチームにいるのは嫌だったのだと思います。しかしながら、高校入学当時180cmを超えていた上背で、100kg以上の体重となっていたワタクシは弟というフィルターを外して戦力として考えたのだと思います。


バスケットは5人で出来ますが、アメフトは最低でも11人必要であり、攻守で役割が違うため専属させるとその倍の20人以上が必要となるスポーツです。まさに、背に腹だったのでしょう(笑)。



こうなっては、ワタクシの鼻が伸びないワケがありません。



( ◠´つ◠`)



そんなにボクの力が必要かね?




( ◔ ౪ ◔)




しょうがないにゃあ・・・







ここから20年以上の付き合いになるとは想像もしておりませんでした。

σ(^_^;) チラ裏ばなし、続けます

コンチワっす、はりゆうです。



朝から熱烈なアピールですけども、朝食のおこぼれを狙っているようですw





昨日の続きです



関西に転勤が決まった時、住む家は実家のある西宮にしよう!って他の選択肢を全く考えずにいました。大学進学で上京するまで暮らしていた土地ですのでそれ以外考えられなかったかもしれません。


阪神淡路大震災を経ておりましたので高校生の頃からは街の姿が変わっていましたが、ベースとなる元の地図が頭にあるのでその変化すら楽しめました。
(不謹慎な表現だと誤解されるかもしれませんが、あくまでも懐かしいという思いのみで、幼少の頃の思い出が蘇ってくるという意でございます。)




高校に進学してスグ、ワタクシはその当時からグダグダしておりましたので入学前に出された春休み中の課題に四苦八苦しておりました。


そんなデブでダメなやつもいる中、出席番号(五十音)順で並べられた座席でうしろに座っていたヤツは要領が良いようで、入学当初からいろいろな部活に顔を出したりして高校生活のスタートを楽しんでいました。


そんなヤツが、ある日、なあぁ、なあぁ、と話しかけてき、ワタクシにアメフト部に入らないのか?と聞いてきました。



ははぁ~ん?さてはコイツ、昨日アメフト部に行ったな!


ワタクシには2歳年上の兄がおります。
つまり、ワタクシが1年生の時というのは、兄が3年生の時なのであります。


兄は中学の時バスケ部のキャプテンを務めておりましたが、中学生になった時バスケ部に入部希望の友達が同じようにワタクシに一緒に行って欲しいと頼んできました。弟の友達だと上級生からのニラミが薄まるとでも思ったのか?不明ですが、少なくとも、キャプテンの弟であるワタクシが必要だったようです。


ワタクシ自身、バスケがしたかったのか?よくわかりませんが、何となくその友達の勧誘にヒョイヒョイのってしまいました。が、この所為で兄からは高校になったら二度と同じことスンナ!って口酸っぱく中一のあいだ一年間言われ続けました。




この中学の経験があったのでスグにピン!と来た訳です。






そうなのです。兄は高校でもアメフト部のキャプテンになっていました(汗)。

(´-`).。oO チラ裏ばなし

コンチワっす、はりゆうです。



今日2/22はニャンが並んだニャンコの日 って感じですけども、、、

ワンコの写真w






ちょっと昔し話の自分語りです(汗)。



アメフト現役時代、実業団チームに所属していたワタクシはその日本一を争うような競技志向に最後は疲れ果て、引退を宣言しました。実業団のチームに所属していて競技者人生が終わったあとって?と、馴染みのない人にとっては想像すら憶測の世界だと思います。


ワタクシが入社した会社は所謂セミプロと呼ばれるような競技優先で、出勤したとしても電話番?みたいなスタイルではなく、あくまでも社業第一優先。競技を引退してからの方が人生は長い、という当時の社長、会長のお考えで競技を通じて培ったモノを社業に還元させなさい、、、との方針でした。


なので平日の練習は深夜まで及ぶわけですが、慣れない頃は翌日の出社がキツかった(; ꒪ㅿ꒪).



そんな会社でしたので、引退したら?って、翌日から即スグにフツぅ~のサラリーマンになるだけでした。(・ω<) テヘペロ




ただし、ワタクシがお世話になっております会社ですが曲がりなりにも全国展開しており各地に支店が点在していますので、現役中は関東近郊に留められていた人事配慮が引退とともに解除され、異動対象地域が全国となります。


そんなこんなで、引退後は あ っという間?に神戸の事業所に配属されました(汗)。




現役時代は、引退したら あんなことやってみたいなぁ~とか、こんな生活してみようか?とか、おもいっきり好きなコトだけやってやる!みたいな妄想をたくさんしていました。


ところが、平日はそれほど変化がないものの(といっても身体はすこぶる元気で力を持て余す)それまでの人生で土日に予定がないなんてことはありませんでしたので、半年もするとどう過ごしていいのか?わからなくなってしまいました(汗)。


さらに、今にして思えば自分勝手も甚だしいのですが、腫れ物を扱うような家族の目が気になって家にいると気を使わせてしまうと考えるようになっていました。





で、気がつくと





休日はアメフトを観戦しに行く日を繰り返していました。(関西は盛んで、高校生から社会人まであらゆる試合が頻繁にありました)



あんなに、アレしてみたいコレしてみたい、と想っていたハズなのに、もう疲れ果ててしまったと思ったハズなのに、、、結局、自分に残るのはコレなんだと(*  ̄ー ̄;)y-~~~







需要があるのか?不明ですが、もうちょっと続けさせて頂きますね。